丸亀うちわの歴史~初期

現在販促用として広く親しまれているうちわ、あなたの部屋にもありませんか?

【うちわのこぼれ話《http://compareantibiotics.com/》】に解説があるように、多くの企業が広告としてのうちわを作成しています。

ピンと来なかった方でも、企業名がプリントされたうちわを街中で配布している風景というと思い当たるのではないでしょうか。

さてこうしたうちわですが、広告用うちわとは別に伝統工芸品としてのうちわがあり、その中の一つに丸亀うちわがあります。

この丸亀うちわの始まりですが1633年に金光院の住職、宥睨(ゆうげん)が当時の讃岐藩主に「うちわを作ろう」と勧めたのがきっかけのようです。

お参りにくる人たちにお土産としてうちわを持って帰ってもらいたいというその願いから、うちわ、男竹丸柄うちわが登場しました。

その後、1781年以降、女竹丸柄うちわが作られるようになりました。

当時は財政状況が厳しく、その打開策としてうちわが奨励されるようになったようです。

丸亀藩主京極高朗公の江戸留守居組・瀬山四郎兵衛重嘉が隣合の九州中津藩の足軽たちのうちわ作りを見たのがその始まりになりました。

そして多くのものが、うちわ作りを習得し、うちわが多くなり、財政状況も改善されたようです。

そして1882年以降、平柄うちわが作られました。

これは富屋町の卸問屋がまず男竹平柄うちわを作り、そして明治20年に、吉田利七がこの技術を習得し、塩屋平柄うちわが登場するようになりました。